法戦

投稿者: | 2004年5月11日

知り合いの学会員の掲示板が、ちょっと香ばしいことになっていて、茶々入れたくてしょうがないんだけれど、ぐっと堪える。
社会的にも精神的にもどっぷり漬かる切磋琢磨あり、ヒエラルキーありの組織って、それだけで、イロイロ努力のしがいがあるんだろう。
関西では、行く先々で、ボクと維新派、私が維新派に居た頃、なんて、青春を維新派で過ごした人間の、整理しきれない愛憎バナシを聞く。
それぞれの過去を語っているのに、スタンスが皆一様になってしまう辺り、維新派は、そういう面ではきちんとした集団なんだなあと、感心する反面、そんな今の彼、彼女に、こちらから改めて何かを問いかけ、じゃあ次は……。なんてハナシができるかというと、そうでもないのがまた、辛いところ。突き抜けて、もう語らなくなっている人間か、自分の事を始めている人間以外は、すっかり燃焼してしまっているし、燃料は維新派でしか補給できなくなっている始末。凄い集団文化だ。救われるのは、そこには敵が居ない事。敵を仮想する必要も無い事。
学会の組織と信者個人という関係がどうかなあと思うのは、精神生活以上の単位で、個人をぎっちりカバーして、褒美と敵までぶら下げているからだ。

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