コンビニでロボダッチの食玩を発見して動揺している自分は、確実にその商品のターゲットとして想定されている世代に属している。しかし、買わないのである。それは、ロボダッチに訴求力があるとか無いとかに関係の無いハナシで、私が大人として、それを手に入れることでは、好奇心を満たしたり、何らかの満足感を得られないことがわかっているからです。
さて、最近はどうもこういったものを喜んで集めるオタク的な満足感を無防備に受け入れる姿勢が、世の中に認められつつあるわけですが、喜んでいる連中も、本当にそれをわかって獲得しているのか、その満足感で大丈夫なのか?という永遠の疑問を持たないままな気がしますな。でも、市場が形成されてビジネスが転がっていき、現実と、それに即したマインドも下の世代向けになっていって、定着していくわけです。これでは不味いわけですよ。
例えば電車男。
リアルな女としてのエルメスの描写を避けて、彼女の出してくるグッズや背景情報に止め、心理分析もしない。
こうなってくると、オタクの視点からはエルメスは萌え戯画女で大丈夫。存在としてはエルメス(リアル)という、なんとも概念の世界から出なくて良い代物なわけです。で、この(リアル)へのアプローチを試みている点で、恋愛ものの人物の仕掛けとしては、面白い手法になっているわけですな。けれども、基本は「シラノ・ド・ベルジュラック」。萌え対象への、電車男のアプローチを見守り、報告を受け、支援する人々の様というのを、われわれはもう一段避がって見るわけですな。
なんせ、物語は報告と相談で展開していきますから、本質的にそれが限界で、報告者の電車に分析能力と行動力があれば、この物語は成立しないのであります。
現実の場面では、二人が相対したにときの主導権は確実にエルメスにあり、電車男が能動的なのはバックヤードでのハナシ。二人の人間関係の中では、電車は常に一歩遅れ、本当の意味で能動的にはなれない。「大人のキス」は、エルメスの確認なしではできません。
無垢な者の果敢な行い故に果報を得るというパターンに属していて、有り体に言えば少年漫画に見られる獲得、少女漫画のいけてない主人公の素敵な彼氏という、実は非常に親しみやすく使い古された内容なのでした。
さて、エルメスは本当に皆が共有しているディティールと、未熟な分析者である電車男の期待通りの中身を持っているのか。
それを不問にして、ロマンは展開していくわけですな。
まだ続きますが、仕事も終わりません。
とりあえず、流れ流れている友人の日記、http://koopop.jugem.jp/?day=20051017に、トラックバック送信(笑)。
電車男の教訓と言えば。
三人寄れば文殊の知恵
これではないかと。
うむ。寄らば大樹の陰でなかったから素敵になれたわけです。世の中には、Mixiという大樹の陰でひどい目にあった人も居るみたいですが。
ヲタクとは儚い夢を観る人種なのです。
Macintoshの前にタマゴローが居ると、
もうソレだけで十分なのです。
人生に悔いは無いんです。
……って(笑)。強ち、外れても居ない
かも知れないけど、ごごさんの言わんとする事は、
今やっと、解りかけて来た年頃。
そんなの、只の誤魔化しに過ぎないよね(笑)。
問題は、ごまかしのまま拡大することだな。