その悲しみは思い過ごしだと言ったところで、現に悲しいツボにあたってしまったら、どうしようもない。
音声通信の向こう側に居る人間が、するすると力をなくしていく。
声が届いてもなんにもならない瞬間があると、結局はリアルか?ということになるけれど、実は、距離を呪ってみたところで、気休めにしかならない。
ごまかしてやりすごす小手先の技でもいいから、どうにかやりすごして穏やかになった心だけ、一瞬でも共有できればいいのにと思う。
本質的な解決や克服を得られなくて、とりあえずどうにかして通り過ぎることと、人としての価値の根本には、本当はあまり深い関係は無い。