20年程前、母親が耕耘機に巻き込まれて左足を失ったが、四月末に伯母が同じ様な事故で命を失った。連休突入と同時に急ぎ帰省。
めぐりあわせに言葉を失い、幾つもある虫の知らせの役に立たなさを嘆き、幾人かは、伯母はまだ現場の畑から戻っていないと直観する。地元の葬式に顔を出して、そんな精神性にやはりと思いながら、とにかく精進料理とビール。何人もの身内が事故発覚から眠らずに数日を過ごしている。伯母は全くの健康体、火葬した骨はくっきりきちんと残っていた。
伯母が植える準備をしていた自然藷の扱いを知るものは無く、イチゴとジャガイモは、そろそろ次の段階。水田も、丁度連休中には水をはって耕さねばならないタイミング。
実家に戻れば、弟と山の水源から田に水を引く水路の泥や落ち葉を取り除いて、田に水を入れる。水は一日に一枚の田に行き渡り、父親が耕耘機でそれを耕す。
別の田では、畦から少し離れた場所に鍬を入れて、引き込んだ水がその辺りで止まる様に細工をする。鍬の刃に田の泥が粘り着き、まき割りによる背筋強化と同じ様な負荷。本当はこんな力加減でやる作業ではないのは、父親のやり方を見ていると、おぼろげにわかる。泥はねばり付かない。しかし、同じ様にはできない。
早朝には、父、弟、嫁と四人で竹林に入り、筍を掘る。これも、俺も弟も最後の数センチ分が浅い。
子供の頃、それまではジャガイモを植えていた場所に杉を植林した。杉は年数分成長しているが、その場所にも竹が侵入していて、半ば竹やぶの様になっている。人が居ればできることで、やっていないことは沢山ある。
実家の界隈はvodafone電波の空白地帯。いろいろと落ち着いたので、携帯を充電して市街地に出ると、次々とエロメールが舞い込み、留守録もいっぱいになっている。
東京には戻ったものの、ここでやらねばならない事なんて、どうでもいいことばかりの様に思えてしまうのは確かだ。いや、単に仕事できない奴の一月分の足踏みとか、駄々っ子の大きなボクちゃんを目の当たりにするのがひどく苦痛な気分。気分の問題なだけで、実際は大きな問題じゃないから、どうでもいい。前向きに。