匿名と実名

投稿者: | 2004年5月12日

blogとして機能している様に見えるblogを発見。トラックバックやら何やらで、結構きちんと網になっているし、網上にもそのつもりで効率良く使っている人が多い。楽しかった。
ただ、その網の中に、自分のネット上での個人特定のスタンスについて述べている人が居て、職業的な必要性で、訓練して得られた論理性と、もう少し雑多な人間関係の中で培われた論理性は違うんだということが、非常によくわかってなんだかくすぐったかった。
論理性と書いてしまうとずれるか。ずれるな(笑)。
俺も含めて、こうやってnet上に、極端に話題を限定しないで日々の営みを晒している人間の分析を試みる事は結構容易な筈。名前以前に、ハラワタ晒しているのと同じだと思う。
掲示板で通り魔的に茶化された事を痛かったと記憶するなら、それは、羹に懲りて膾を吹くだろうし、ネット上の「匿名」に相手の見えない気持ち悪さを感じ、自分も匿名だった時に、軽く扱われたと感じた事は、本人が実生活で、自分の地位について常に敏感である事を求められていたか、本人が、地位に敏感でなければならないと、感じてきたかのどちらかで、それをそのまま、ネット上での人と関わるルールにしてしまったと見える。その「気持ち悪い匿名」が使われる場所のTPOに対しての柔軟さを欠く程度には、「現実」が大変なんだろうと想像できる。
責任を取る気もない人間が、署名の頭に「文責」と付けるのがちゃんちゃらおかしいのと同じで、どんな名前であっても、自分が積み上げた言を期待しているより軽く取られるのが嫌で、覚悟の覚え書き付きで実名使って、他人にも実名強いるのも、ちょっと変なハナシ。
同じ様な理由で匿名を嫌う人も居るのだけれど、TPOを形成するのは、その場所の支配者と支持者。それにリソース割くのが面倒なら、その面倒と感じる理由が、実は、自分にとってのその場所の価値の低さとつながっているんじゃないかと思い巡らしてみるか、もう少し参照やコメント付けに関して不自由なシステムでやるべきだ。

カテゴリー: net

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