脳内の垂れ流し環境を整備

投稿者: | 2009年12月17日

とりあえず、Androidからhatenaへの投稿がひたすらイマイチなので、使い道について再考。
日常的なよしなしごとは、TwitterとPixelpipeから各所にアップでなにかと十分な感じではある。
一瞬のゆらぎをアウトプットすることと、何らかのまとまったアウトプットの幾種類かは、これまでもそれぞれ全く違うレイヤーで行ってきたわけだし、それはこれからも変化しない。
所詮、世の中の多くのテキストには、もともと何の重要性もない。
図らずも、新たなデバイスを手にすることになって、かえってツールが足りないと感じてしまう。
情報についての捉え方の違いは、日々そのバリエーションを増しているので、理解の度合いや感覚の違い、視点や立ち位置の違いからくるズレを修正したり歩み寄ったりすることが困難になっていく。
何を掴むべきか、何を手放すのか、その選択は最初から極めて個人的なものにしかなり得ず、結局は、私語を丁寧に磨いて価値を付加していくしかなくなってしまう。
ん〜。どうすっかなぁ。
まぁ、エントリーよりもコメントの方が密度が高い日々が続いていたわけで、だらだら日記書くくらいなら、きちんとブログの体裁にする方向で、然るべきサービスに移行せぇよってなハナシなんですよね。

脳内の垂れ流し環境を整備」への1件のフィードバック

  1. nakazo

    いや、ここはそんなスペースで、俺もフリーライダーで、これは極めて無意味な割り切りの世界なわけですが、そう考えると余計に、Webサイト、掲示板、SNS、ブログ、Twitterと脳内の垂れ流しのスタンスの違いってのが面白くなるわけですよ。
    <quote>で囲むのか、レスでいいのか、トラックバックつけるのか、つぶやきにretweet返すのは相手にわかるけど、viaと書いてリンク貼っていたとしても、それをされている人間は、なかなかその存在に気付かないなぁとか……。
    で、どっかにID持っていて、そこに行けばまとまったテキストがある人か、それとも管理者かサーバ技術者がIPアドレスを把握できるだけの人か。
    そこがどんな場所で、どういう人間に対して、どんな風にオープンになっている様に見えるかと、その感覚や理解の厳密な共有が難しい割には、最大公約数的な折り合いは簡単に付いてしまったり、同じ仕組みのサービスでも細部が違うと大違いだったり、作ろうとしているコミュニティの形で、運営者が提案するマナーも違っていたりと、なんだかもう、取り返しのつかない世界になってるわけですね。
    ここは俺のブログなので、俺は掲示板の主催者じゃないし、エントリーにコメントが並んで行ったとしてもトピ主でもない。でも、「そこ、大差ないんじゃない?」と言われると、全くわからない相手に説明するよりもややこしくて、どんなに丁寧に説明したとしても、腑に落とすところまではいける気がしないのでした。
    と、コメント欄じゃ狭いな。てか、これは最近考えていることそのものなので、続きは上とか、いろいろで。

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