越中地下倉庫・日々の記録

日々書いたものをネット上に放出していきます。

マヤコフスキーと錯誤しながら読む。

これは、共産主義のディストピアの様に見えるものだろうか、それともなんだろう。
当時、この様な新しい感覚が発生しかねないと考えられたのか、実際に発生したという様なことを揶揄するスタンスだったのか、今となってはわからないが、人はこうしたところに陥り、それでもどうにかどこかに収まっていく。
そのいびつさをどう受け止めたものなのか、そもそもこれを「いびつ」だと感じること自体で、自分の立ち位置を問われている感触もある。
整然とした話の流れの中で描き出されていく状況を、なにか妙に力加減を考えることなく立ち上げられていく様な形で見たい気はする。