令和6年能登半島地震とのことで、なんとなく年末年始感の無い年だと思ってすごしていたら、2024年は元旦の夕方に地震で、3日の現在も氷見市では断水が続いている。
水が来たとしても、家では風呂場のタイルがほぼ落ちていて、下地のコンクリ壁にも亀裂が目立つので、果たして水復旧、早速風呂だよといけるのか少し不安はある。続く余震で本格的に崩れたら諦めがつくかもと思いながら、水洗トイレの水を風呂から取っている。
金沢界隈の人が、XになったTwitterで、能登半島の深さで輪切りにして個人の体感として被害の様子を輪切りにしていたが、倶利伽羅峠の向こう側、富山県側のことはあまりわからないままでいるのだろう。『ほぼ被害なし』の輪の中に入っている氷見の様子からいえば、液状化でかなりの範囲で家屋にダメージが出ているし、道路の陥没、亀裂と、金沢で個人が感じる『ほぼ被害なし』には程遠い状況だ。
幸い、電気はきているし、ガスはプロパンだ。周辺にまだ使える井戸があるなどして、なんとか生活用水は確保しているし、断水していない場所から飲水もどうにか確保しているが、正月なのでとりあえずずっと餅を焼いて食べているから、調理に水を使わないで「なんて正月だろう」と、そんな風に感覚をすり替えている。
志賀原発も、火災の報道が取り消されてみたり、「特定のイデオロギーを混ぜたツイート」という、いつもの応酬が見て取れる。
志賀町でもなく、石川県でもないうえに、30kmの輪から50メートルほど外側で暮らしているので、なにかあっても降りかかるのは迷惑だけな場所。
是が非でも事故は勘弁していただきたい。
「間違っている」に等しい不正確な情報と、大本営発表だけを信じろという声の両方を見て、呆然とするしかないほどの中心地でもなく、とにかく着実に生きる備えについて考えるきっかけはいただけていると思えば、ある意味で良い正月といえる。
これも、氷見からの距離感としてはこんな具合だが、もっと能登の奥に行くと、本当にそれどころではあるまい。
津波を警戒してうちに逃げてきた親戚と、とりあえずみんなで避難所に行こうと言ったものの、誰もあまり乗り気にならず、1日の夜はまんじりともせず過ごすことになった。ずっと隠れていた猫が出てきたので、一人ででも良いから庭にテントを建てるのもやめて、座ってうとうとすることにした。
2日になって友人が、家に居るのが不安で近所の小学校に避難したところ、来ていたのは自分たちの家族だけだったという話しを聞くにつけ、「津波」の恐怖は、かつて圧倒的なビジュアルがあったから伝わったのかもしれないが、家屋の倒壊は、生まれて初めての震度5強を体験しても、周辺で家が傾いていても、どこか他人事だということだ。無事ならしめたものだが、無事でなかった時のことを最初から考えないというのは、このまま無事なら、なかなか共有できることでもないと思う。
氷見市は能登半島の付け根ということになるが、富山県ということで、ひょっとしたらこの先もいろいろと軽めのあしらいになるかもしれない。果たして水はいつ復旧するやら。