現実の扱われかたなのか、語られることなのか、読み口を好むかどうかを問われている様な調子で、終始落ち着かなかった。
慣れない運転での高速道路の移動、ドライブの記憶からの導入。『なつかし広場』の建付けが、本当に「なつかしい」のか。《あまり関係ないから特に問題なかった。》というスタンスで、距離感の定義が一旦終わるとしたら、偽札のはなしの扱いは、この程度で良かっただろうか。表面からの踏み込みの力加減ということでもないのだが、いろいろ引き回された挙げ句に了解を求められた様な印象を受けた。
主人公は既に了解しているし、特にここからなにかが展開する必要もない。最後のパラグラフでしっかりと置いていかれる感触の切れ味との違いを作者の手数のバリエーションとして受け取ることもできるかもしれないが、確かにあったものと、追想されるの表徴の関係、後からの答え合わせについて追うとしたら、わざわざこの場所に移動してきた、やむにやまれなさが、もうひと押し欲しかったかもしれない。
この読書記録を書くために思い出すにつけても、特に不満はないのだ。だが、この思い出す感覚が作品の《…特に問題なかった。》と同期することは、読書して感じる楽しさとは、少しだけ違う様に思う。『太陽の側の島』『L.H.O.O.Q』も同様の読み口だったので、手元に他の作品が来て隙があれば確認してみるかもしれない。
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